広島原爆の日の今日。三度目の南相馬市へ行って来た。庁舎前には0.65μsv(マイクロシーベルト)の表示板が。まだまだ先が見えない南相馬市。田畑は刈ってはならない草が伸び放題。しかし遠くから見ると緑が綺麗に見えるが実際は全く復興は進んでいない。
今日の報道で広島と長崎の人種差別の言葉が被災者を苦しめた話がでていたが、福島にそんな事があってはならない。
5日と6日市民の皆さんの貴重なお気持ちである義捐金を頂いたものを4市へ支援金としてお渡しして来た。
レポートします。(ちなみに私の写真なので少し足りないかも。後日追加有り)
先ずは陸前高田。
市長さんは青年市長会の同志。奥さんも犠牲に、死にものぐるいで今がんばっておられる。青年市長会も復幸センターを設置し支援をしている。
実は昨日陸前高田にスーパーがオープンしたとか、祭りが始まるとかのニュースを聞いていたが、私にとって初の被災地を見てもう愕然とした。
流された車、瓦礫、予想以上に痛んだ建物。そしてその被災した町の広さ。ほぼ市の8割ほどが流されてんではないだろうか?
仮設の市庁舎へ行き市長と面談。これからもできる範囲で支援できる事を考えて行きたいが、とにかくまだまだ復興まで進んでいない。復旧もまだだという事を日本国民は知る事だ。報道は減り少しづつ復興してるかのようだが陸前高田はまだまだだ、市職員も3分の一が亡くなっている。何せ津波の高さは4階の建物まで破壊している。
写真を紹介する。
車は集められてるものの。。
至る所に瓦礫。。。。
市庁舎。一番高い屋根の上で市長は助かったが。。。
仮庁舎。
4階までの高さの津波が。
そして大船渡市へ。丁度皇太子殿下、妃殿下が来られリという事で市庁舎も大変な状況。
陸前高田と大船渡日本椿協会の仲間である。
その後武蔵野市との関係で交流をしている遠野市へ。
庁舎が被災し、現在スーパーマーケット内に間借りを。それがなかなか便利でいい。
もちろん遠野物語の遠野市は沿岸都市の災害後方支援として現在も大切な任務を果たしている。市産材を使った復興住宅はすばらしかった。
そして6日は南相馬市へ。
市長さんらと面談。今月11日に桜井市長さんは南砺市を訪問され災害相互応援協定を締結する予定。
市への支援金の他に今日は平成20年にゲリラ豪雨により大きな災害が発生した城端地域の皆さんが義捐金を集めて頂いたものを城端地域自治振興会代表者さんから南相馬市の自治振興会の会長さんに。そして城端地域と20年以上の交流を続けているアメリカマルボロ市からの義捐金を今年のマルボロ訪問団団長さんから合唱やチアリーダー、ブラスバンド、演劇等全国的コンクールに出場している子どもたちへの支援として関係者に目録を渡した。
また、南砺市にデーターセンターが有るコンテンツ制作会社ヨーズマーが独自に手がけているワンセグ放送の南相馬チャンネルが7月20日から市役所から数KMの範囲の放送を開始。市民から多くの問い合わせが有り、今後更に受信できるように進めて行く。市内各地の放射線量や市からの情報。イベント等が映像で見られる。家のテレビや携帯のワンセグ放送で見られるものだ。
報道は少しづつ減ることになるだろうが、現在まだ復興へのロードマップが見えない地域が多いことをしっかり伝えて行かなくてはならない。暑い夏だがもう2ヶ月もしたら東北は寒い季節を迎える。このままではいけない。